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大石鍬次郎(おおいし くわじろう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 江戸幕府 新選組 甲陽鎮撫隊

没年齢 : 32 (1838 – 1870)

①一橋家から新選組へ

御三卿、一橋家の家臣、大石捨次郎の長男として生まれた大石鍬次郎は、一橋家の当主となった徳川慶喜に仕えるも、大石家を出奔し天然理心流の出稽古道場を開く佐藤彦五郎の道場に通うようになる。大石家は鍬次郎の実弟、大石造酒蔵が家督を相続する(1862.8)。池田屋事件後に近藤勇が江戸に戻り新選組隊士を募集すると鍬次郎は新選組に入隊する(1864.10)。

②人斬り鍬次郎

京都に入ると鍬次郎は沖田総司の一番隊に配属される(1865.5)。慶喜の家臣として京都に入っていた弟の造酒蔵が新選組隊士の今井祐次郎に暗殺される(1866.2)と、鍬次郎は敵討ちを試みるも近藤や土方歳三に諌止される。三条制札事件では鍬次郎は一隊を率いて原田左之助の一隊、新井忠雄の一隊と共に出動するも、連絡が遅れたため土佐藩士との戦闘には参加できずに事件を終える(1866.9)。油小路事件では新選組から分裂した御陵衛士の党首、伊東甲子太郎を待ち伏せ暗殺する(1867.11)。天満屋事件では坂本龍馬暗殺の嫌疑をかけられた紀州藩の三浦休太郎の警護に斎藤一らと共に天満屋に出動。土佐藩士の陸奥宗光、十津川郷士の中井庄五郎らの襲撃を受けるも三浦の警護に成功する (1867.12) 。

③戊辰戦争、その後

鳥羽伏見の戦い(1868.1)では新選組として奮戦するも敗れ江戸に撤退する。その後、新選組が甲陽鎮撫隊として甲州勝沼の戦い (1868.3) に出陣すると、鍬次郎もこれに参加。しかし敗戦後、江戸に撤退した鍬次郎は新選組を脱走して江戸に潜伏する。その後、鍬次郎は新政府軍に捕縛される(1868.12)。坂本暗殺の嫌疑をかけられ自白するも後に撤回。しかし伊東暗殺の罪により処刑される(1870.10)。


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