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藤堂平助(とうどう へいすけ)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 江戸幕府 新選組(八番隊組長) 御陵衛士

没年齢 : 23 (1844 – 1867)

①伊東と近藤、二人の師

旗本、藤堂家の子として江戸で生まれた藤堂平助は、玄武館に入門して北辰一刀流の剣術を学んだ後、伊東甲子太郎の伊東道場に入門し門弟となる。その後、さらに藤堂は近藤勇の試衛館に入門し、近藤の門弟ともなる。近藤が道場の門弟たちと浪士組に参加すると藤堂もこれに参加して上京。京都に残留して壬生浪士組に参加し幹部となる(1863)。会津藩の管理下となった壬生浪士組が松平容保の御前試合が行われると、藤堂は第一試合で土方歳三と試合を行うも勝敗は不明(1863.4)。壬生浪士組が新選組となる(1863.9)と藤堂は八番隊組長を任される。

②池田屋事件

翌年の池田屋事件(1864.6)では近藤隊に属し、近藤、沖田総司永倉新八と共に四人で宮部鼎蔵ら浪士が集まる池田屋に斬り込む。近藤、沖田、永倉が浪士たちが集まる二階に斬り込み、藤堂は浪士たちを取り逃がさないよう一階を担当する。藤堂は二階から逃れてきた浪士たちと刀が使えなくなるほどに奮戦するも、途中で暑さのため鉢金を取ろうとした隙に潜んでいた浪士の襲撃に遭い顔面を斬られて昏睡状態となる。その後、土方隊の加勢により新選組は戦闘に勝利し、藤堂は一命を取り留める。この活躍により、藤堂は幕府から近藤、土方に次ぐ褒章を賜る。藤堂は進んで先陣を切る勇猛さから、「魁先生」との異名をとるようになる。

③油小路事件

池田屋事件後、新選組隊士の募集のため、藤堂は土方や斎藤一らと共に江戸に下ると、旧師の伊東の元を訪れ新選組に勧誘する(1864.9)。藤堂の勧誘により伊東は弟の鈴木三樹三郎を始め門弟達と共に新選組に加入し藤堂は伊東一派を引き連れて京都に戻る(1865.5)。しかし伊東は近藤と袂を分かち御陵衛士となると、藤堂は伊東に従い新選組から離脱(1867.3)。藤堂は伊東や鈴木と共に長州藩の寛大な処分を建白するなど尊王攘夷活動を行う。近江屋事件の直前には伊東に連れられ近江屋の坂本龍馬を訪ねて土佐藩邸に避難するように忠告する(1867.11)。近江屋事件の三日後、伊東が新選組に暗殺されると藤堂は御陵衛士の同志七名と共に伊東の元へ駆けつけるも、待ち伏せしていた新選組に襲撃される。旧知の永倉新八原田左之助らは藤堂を逃がそうとするも、藤堂は新選組隊士と死闘となり致命傷を負って翌日死去する(1867.11)。


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