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伊東甲子太郎(いとう かしたろう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 志筑藩 新選組(参謀) 御陵衛士

没年齢 : 32 (1835 – 1867)

①北辰一刀流、伊東道場

常陸志筑藩士、鈴木忠明の長男として生まれた伊東甲子太郎は、父が隠居後家督を継ぐも、父の借財が判明するとお家断絶となり志筑藩を追放される。一家は常陸府中藩へ移り、伊東は水戸へ遊学して水戸藩士、金子健四郎に神道無念流の剣術を学ぶ。水戸で伊東は水戸学を学び尊王攘夷思想を持つようになる。伊東は府中へ戻ると、父が開いていた漢学塾、俊塾の支塾で教鞭をとる。その後、伊東は江戸に遊学し、伊東誠一郎に北辰一刀流を学ぶと、その器量を買われて誠一郎の娘、みつと結婚。誠一郎死去後は養子として伊東家を継ぐ(1862)。伊東は道場主として実弟の鈴木三樹三郎を始め、藤堂平助、加納鷲雄、中西昇、内海次郎ら多くの門弟を持つことになる。

②新選組加入

伊東の元に新選組に入隊し幹部となっていた藤堂が訪れ伊東を新選組に勧誘すると、伊東は弟の鈴木、門弟の加納、中西、内海、さらに篠原泰之進、服部武雄と共に新選組に加入(1864.10)し、翌月(1864.11)、上洛。伊東は幹部である総長、山南敬助より格上の参謀として迎え入れられる。しかし近藤勇土方歳三率いる新選組は佐幕の組織となっており、伊東の勤王思想との間に隔たりが生まれることになる。

③御陵衛士結成から油小路事件へ

伊東はついに幕府と対立する薩摩藩の支援を受け、鈴木、加納、篠原、服部、藤堂ら門弟、さらに斎藤一を加えた十五名で新選組を離脱し長円寺に入る(1867.3)。その後、茨木司、佐野七五三之助ら十人も伊東に合流を図るも計画が新選組に漏れて失敗。茨木、佐野ら四名は切腹となる(1867.6)。さらに武田観柳斎が合流を所望するも伊東はこれを拒否する。伊東派は高徳藩の預かりとなって拠点を高台寺に移し御陵衛士を結成(1867.6)。伊東ら御陵衛士は近藤の暗殺を計画する。しかし御陵衛士に加わっていた斎藤は新選組のスパイであり、斎藤の脱走により近藤暗殺計画が新選組に露見する。伊東は近藤ら新選組の酒宴に招かれると、その帰り道、新選組の襲撃を受け大石鍬次郎により暗殺される。その夜、伊東の亡骸を回収に来た御陵衛士が待ち伏せしていた新選組に襲撃される油小路事件へ発展することになる(1867.11)。


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