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黒田清隆(くろだ きよたか)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 薩摩藩 精忠組 明治政府

没年齢 : 60 (1840 – 1900)

①薩摩藩士時代

薩摩藩士、黒田清行の子として生まれた黒田清隆は、薩摩藩の国父、島津久光が上洛するとこれに随行し、生麦事件(1862)では抜刀する藩士をいさめる対応を取る。翌年の薩英戦争(1863)後、江戸の江川塾で江川英龍に砲術を学ぶ。薩長同盟が計画されると、黒田は薩摩藩の使者として長州藩に同盟の必要性を説き、大坂で木戸孝允西郷隆盛の会談に貢献する(1866)。

②戊辰戦争

鳥羽伏見の戦いに小銃隊の隊長として参戦した後、山縣有朋と共に北陸道の参謀に任命され鯨波戦争に勝利する。北越戦争では河井継之助を登用を試みるも失敗。長岡藩の降伏後は西郷と合流し、米沢藩と庄内藩を降伏させる(1868)。翌年(1869)の箱館戦争では総司令官として五稜郭に立てこもる旧幕府軍の榎本武揚を降伏させ戊辰戦争を終結させる。戦後、黒田は剃髪して榎本の助命を嘆願。榎本は謹慎となり(1872)、北海道開拓を担当することになった黒田は榎本ら旧幕臣を北海道の開拓使として登用する(1874)。

③第二代内閣総理大臣

西南戦争で西郷が戦死し(1877)、紀尾井坂の変で大久保利通が暗殺される(1878)と、黒田は薩摩藩の最有力者となる。黒田は開拓使官有物を薩摩藩出身の五代友厚に安値で払下げを計画すると大隈重信が反対。これを伊藤博文が払下げ中止と共に大隈を追放する明治十四年の政変となる。第一次伊藤内閣が発足すると黒田は農商務大臣となり(1887)、翌年(1888)、第二代内閣総理大臣に就任する。大日本帝国憲法発布を成し遂げた黒田は外務大臣に大隈を起用し条約改正を試みるも失敗し総理大臣を辞任する(1889)。その後、枢密院顧問、枢密院議長を務めた後、脳出血のため死去(1900)。榎本が葬儀委員長を務めた。


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