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世良修蔵(せら しゅうぞう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 長州藩 奇兵隊 第二奇兵隊 明治政府

没年齢 : 33 (1835 – 1868)

①長州藩士へ

庄屋の中司八郎右衛門の子として生まれた世良修蔵は、長州藩の藩校、明倫館で学んだ後、松下村塾と双璧をなす私塾、清狂草堂で月性に学ぶ。その後、江戸に出た世良は、安井息軒の三計塾に学び、長州に帰郷した後、藩の重臣、浦靱負の私塾、克己堂で兵学の講師として仕官し、浦の家臣、木谷良蔵の養子となり、その後世良家を継いで長州藩士となる。

②第二奇兵隊の軍監へ

長州藩は第一次下関戦争(1863)の敗戦後、高杉晋作が実権を持ち奇兵隊を結成する。同郷の赤禰武人が第三代総督となると、赤禰の呼びかけを受け世良は奇兵隊に参加。その後、世良は真武隊を再編し第二奇兵隊を編成。軍監となる(1865)。第二次長州征伐が行われると世良は第二奇兵隊を率いて大島口で幕府軍に抗戦し大島の奪還に成功する。鳥羽伏見の戦いでは第二奇兵隊や遊撃隊を率いて旧幕府軍を打ち破る戦功を挙げる(1868)。

③会津征伐の下参謀として

その後の戊辰戦争では、世良は薩摩藩の大山綱良と共に奥羽鎮撫総督府の下参謀に就任し会津征伐に従事する。仙台藩の養賢堂に陣を敷いた新政府軍は仙台藩と米沢藩に会津討伐に出兵を要請。仙台藩主の伊達慶邦と米沢藩主の上杉斉憲は会津救済を嘆願するも世良はこれを拒否する。世良は福島城下の金澤屋で同じ下参謀の大山に奥羽皆敵と記した密書を書き、福島藩士、鈴木六太郎に渡すも、鈴木はこれを姉歯武之進ら仙台藩士に知らせる。翌日未明、世良は金澤屋で就寝中に姉歯ら仙台藩士と鈴木ら福島藩士の襲撃を受け捕縛され、早朝に阿武隈川の河原で処刑される。


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