menu

岡田以蔵(おかだ いぞう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 土佐藩 土佐勤王党

没年齢 : 27 (1838 – 1865)

①土佐勤王党加盟

土佐藩下士、岡田義平の長男として生まれた以蔵は、武市半平太と共に土佐藩の剣術師範、麻田直養に剣術を学び、その後、武市に従い江戸に遊学し桃井春蔵に剣術を学ぶ(1856)。土佐に帰国後、武市に従い九州へ渡ると、武市の計らいにより以蔵は岡藩に滞在し剣術修行を行う(1860)。翌年、以蔵は江戸で武市に合流し、武市が組織した土佐勤王党に加盟する(1861)。

②天誅

武市と共に帰国後、参勤交代に従い京都に入った以蔵は武市の命を受け佐幕開国派の要人たちを天誅と称し次々と暗殺する。吉田東洋暗殺事件を捜査していた土佐藩士の井上佐市郎、長岡藩出身の志士ながら利己的態度で勤王党の志士らと対立した本間精一郎、安政の大獄で島田左近の手下として多くの志士を摘発した文吉、らを暗殺(1862)。他にも以蔵が関与したとされる暗殺も多くあり、以蔵は四大人斬りの一人として恐れられる。

③勤王党壊滅

翌年、以蔵は脱藩して江戸に向かい長州藩の高杉晋作に従う(1863)。高杉が京都に入ると以蔵も京都に入り、坂本龍馬の紹介により幕臣の勝海舟の警護を務める。しかしこれは長続きせず、八月十八日の政変が起こると勤王党ら攘夷派が京都を追われ以蔵は生活に困窮。以蔵は商人への借金問題により捕縛されると土佐へ送還され、数々の暗殺事件について取り調べを受けると自らの犯行と勤王党の同志の名を自白する。これにより土佐勤王党は壊滅。以蔵は処刑となる。


< NEXT 三宮神社(さんのみやじんじゃ)

PREV > 吉田東洋(よしだ とうよう)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です