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岩崎弥太郎(いわさき やたろう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 土佐藩

没年齢 : 50 (1835 – 1885)

①東洋との出会い

土佐藩の浪人、岩崎弥次郎の長男として生まれた弥太郎は、江戸で安積艮斎に学ぶも、父、弥次郎が喧嘩で投獄されると帰国し奉行所に釈放を訴えるも叶わず、身分差別の是正を訴えると弥太郎自身も投獄される。獄中で弥太郎は同房の商人から商法を学ぶ。出獄後、弥太郎は吉田東洋の少林塾に入り後藤象二郎と出会う。東洋が参政となると弥太郎は土佐藩士に列せられる。東洋が武市半平太の土佐勤王党に暗殺されると弥太郎は犯人の探索を任命され上洛するも、これに失敗することで勤王党から命を狙われずに帰国を果たす。

②三菱誕生

弥太郎は象二郎から土佐藩と長崎のグラバーら商人との取引を任される。その後、脱藩の罪を許された坂本龍馬が海援隊を組織すると、弥太郎は土佐藩の管理下となった海援隊の財務を担当する。新政府が誕生すると土佐藩は海運業の商社、九十九商会を設立。弥太郎は事業監督に就任し、廃藩置県後は九十九商会の経営者となる。その後、九十九商会は三菱商会となる(1873)。

③政府の企業として

明治政府による台湾出兵(1874)が行われると、弥太郎の三菱商会は軍事輸送を担当する。政府は欧米の汽船会社に対抗するため三菱商会に船舶を提供。三菱商会は郵便汽船三菱会社と社名変更する。西南戦争が起こると三菱は政府の御用達として軍事輸送を行う。弥太郎は海運業を独占し莫大な利益を得るも、渋沢栄一ら反三菱の財閥が共同運輸会社を設立。三菱の競合相手となる。弥太郎が病死するとその約半年後、三菱商会は共同運輸会社と合併し、日本郵船が誕生する。


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