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新島襄(にいじま じょう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 安中藩 明治政府

没年齢 : 47 (1843 – 1890)

①アメリカへの密航

安中藩士、新島民治の子として江戸の藩邸で生まれた襄は、幕府の軍艦操練所が幕臣以外の諸藩の藩士にも開かれると入学し、洋学や航海術を学ぶ。襄はアメリカの開かれた制度に憧れ、アメリカへの密航を計画。備中松山藩の快風丸で当時開港していた函館に移るとロシアの司祭、ニコライの協力を受けて出港。渡米を果たす(1865)。

②アメリカで

襄はフィリップス・アカデミーに入学(1865)後、アンドーヴァー神学校でキリスト教に入信(1866)。フィリップス・アカデミー卒業(1867)後はアマースト大学にで後に札幌農学校の教頭となるクラークの授業を受ける。また、初代駐米公使、森有礼により襄は正式に留学生と認められる。アマースト大学卒業(1870)。岩倉使節団がアメリカに入ると襄は木戸孝允に登用され通訳として使節団に同行(1872)し、ヨーロッパ各国を回り教育制度を調査する。アメリカに戻った襄はアンドーヴァー神学校を卒業(1874)後、宣教師となる。

③同志社設立へ

宣教師として帰国した襄は、木戸を頼り大阪で学校の設立を計画するもキリスト教に対する反対に遭い頓挫する。木戸は長州藩出身であり京都府知事を務める槇村正直故を襄に紹介し、京都府顧問の山本覚馬の協力を受け同志社英学校を設立し初代校長に就任する(1875)。その後、襄は覚馬の妹、八重と結婚(1876)し同志社女学校を設立する(1877)。その後、故郷の安中に安中教会を設立(1878)。襄は同志社大学設立に向けて大隈重信井上馨岩崎弥太郎渋沢栄一らから寄付金の約束を取り付けるも心臓疾患により死去する。


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