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香川敬三(かがわ けいぞう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 水戸藩 柳の図子党 陸援隊 明治政府

没年齢 : 76 (1839 – 1915)

①尊王攘夷派の神官

水戸藩士の蓮田孝定の子として生まれた敬三は、常陸大宮の吉田神社の神官、鯉沼意信の養子となる。敬三は時雍館や藤田東湖の私塾で学び尊王攘夷を持ち、勅許なしに開国した幕府を正すことを水戸藩に求める「戊午の密勅」が水戸藩に下されると、敬三は高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介らと共に勅書の返納に反対し長岡宿に集結。しかし佐幕派の諸政党により鎮圧の動きが起こると江戸の薩摩藩邸に入り、攘夷決行を模索するも露見し謹慎処分となる。

②高野山挙兵

謹慎を解かれると藩主、徳川慶篤に従って上洛し、京都の志士たちと交流する。敬三はその後脱藩し柳の図子党に参加。岩倉具視の下で志士活動を行う。中岡慎太郎が陸援隊を組織すると敬三は副隊長格となり、慎太郎の死去後に王政復古が起こると鷲尾隆聚を陸援隊隊長として擁立し紀州藩に対して高野山で挙兵する。続く鳥羽伏見の戦いでも高野山に滞陣し、戦いの勝利後に京都へ帰還する。

③東山道軍大軍監として

その後の戊辰戦争では東山道軍総督府大軍監として軍を率い、下総流山では潜伏中の新選組局長、近藤勇の出頭に成功する。宇都宮城の戦いでは入城を果たすも大鳥圭介と土方歳三率いる旧幕府軍に城を奪われる。しかしその後、城の奪還に成功。勝利後は会津戦争まで転戦する。明治政府では宮内省に入り岩倉使節団に自費で随行し途中で正式に団員となる。その後も宮内省の要職を歴任し大正天皇生誕後は天皇の御婚儀御用掛長を務める。


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