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大村純忠(おおむら すみただ)

Category: 戦国武将

概要

所属  : 大村家

没年齢 : 54 (1533 – 1587)

①キリシタン大名

肥前の大名、有馬晴純の次男として生まれた純忠は、肥前の大名、大村純前の養子となり家督を継ぐ。純忠はポルトガル人に横瀬浦を提供しキリスト教の宣教師の居住を許可する。キリスト教に入信した純忠は領民にもキリスト教の信仰を強制することになる。

②横瀬浦から長崎へ

純前の実子で純忠の義兄の後藤貴明が純忠に反乱を起こすと、純忠は野岳の戦いで貴明を撃退するも横瀬浦が焼討される。純忠は新たに長崎を提供。その後、貴明が純忠の居城、三城城を攻めるも純忠はこれを撃退する。純忠は長崎と茂木を教会に寄進する。

③天正遣欧少年使節

肥前で龍造寺隆信が勢力を拡大すると、純忠は隆信に降伏し従属する。イエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノが天正遣欧少年使節を計画すると、純忠は千々石ミゲルを名代として派遣する。沖田畷の戦いでは龍造寺軍として出陣するも、敵軍である有馬晴信が甥のため不戦状態を保ち、敗戦にも関わらず島津軍から解放される。豊臣秀吉が九州征伐を行うとこれに従属。その約三か月後、病死する。


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