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島津家久(しまづ いえひさ)

Category: 戦国武将

概要

所属  : 島津家

没年齢 : 40 (1547 – 1587)

①島津四兄弟

薩摩の島津貴久の四男として生まれた家久は、廻坂の合戦で初陣を果たし敵将を討ち取る。大口城の戦いでは、伏兵を潜ませて城兵を誘い出し菱刈隆秋を打ち破る。当主の島津義久が薩摩、大隅、日向の三州平定すると、家久は伊勢神宮参拝のため上洛し、織田信長を一見したり明智光秀と会談したりする。その後、義弘が日向の伊東義祐を破ると家久は義祐の居城、佐土原城に入る。

②沖田畷の戦い

義祐が豊後の大友宗麟を頼ると、宗麟は田原親賢を総大将にして日向に侵攻。家久は義久本隊の到着を得て耳川で大友軍と衝突。島津軍は伏兵を置く釣り野伏せ戦法により軍師の角隈石宗を討ち取り大友軍を壊滅させる。その後、肥前で有馬晴信龍造寺隆信が争い敗れた晴信が義久を頼ると、家久は島津軍の総大将として肥前島原に侵攻。家久は龍造寺軍を湿地帯である沖田畷に誘い込み、隆信を討ち取り龍造寺軍を壊滅させる。

③戸次川の戦い

義久は龍造寺家の重臣、鍋島直茂と和睦すると大友家の討伐を開始する。しかし宗麟は豊臣秀吉に救援を要請。さらに直茂も秀吉に接近する。秀吉は九州征伐の先鋒隊として仙石秀久を大将に、長宗我部元親、長宗我部信親、十河存保らを九州に派遣。家久は大将として大友軍の鶴ヶ城を攻めると秀久は戸次川に陣を敷く。家久は川を渡ってきた秀久、元親を撃退し、信親、存保を討ち取る。さらに鶴ヶ城を落城させ戸次川の戦いに勝利する。しかし豊臣軍本隊の日向方面軍、豊臣秀長が攻めてくると秀長と単独講和する。その直後、佐土原城で急死する。


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