menu

佐々木秀義(ささき ひでよし)

Category: 源平武将

概要

所属  : 源家

没年齢 : 72 (1112 – 1184)

①渋谷重国の下で

近江源氏、佐々木爲俊の子として近江蒲生に生まれた秀義は、河内源氏の頭領、源為義の娘と結婚し源義朝の義理の弟となる。保元の乱では後白河天皇に付き、義朝の軍に属して勝利を得る。平治の乱でも義朝に付き、義朝の子、源義平に従い戦うも敗戦。所領を失い奥州の藤原秀衡を頼って落ち延びるも、途中で相模の渋谷重国に引き留められ駐留し、重国の娘と結婚して養子となる。

②頼朝との内通

義朝の子、源頼朝と平家方の監視役である北条時政が伊豆で挙兵の兆候を示すと、平清盛の家臣、大庭景親は秀義を平家方と思い込み秀義を自邸に招いて対応を相談する。秀義は源家方で既に頼朝と通じており、長男の佐々木定綱を使者として頼朝に派遣。頼朝に平家軍が頼朝追討軍を組織しているため奥州へ逃れるよう進言する。

③佐々木兄弟の父として

秀義からの情報により頼朝は挙兵を早め、伊豆の代官、山木兼隆討伐を決意する。秀義は長男の定綱を始め、次男の佐々木経高、三男の佐々木盛綱、四男の佐々木高綱を頼朝に従わさせ兼隆の討伐に貢献。所領の近江蒲生を安堵され帰郷する。伊賀、伊勢で平家継、さらに兼隆の父、平信兼が三日平氏の乱で近江甲賀に侵攻すると秀義は五男の佐々木義清と共に追討に出陣。甲賀上野の戦いで奮戦するも戦死する。


< NEXT 三浦義村(みうら よしむら)

PREV > 九条兼実(くじょう かねざね)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)