概要
所属 : 藤原家(奥州)
没年齢 : ?? (11?? – 1190)
①奥州合戦
出羽由利の豪族、由利維安の子として生まれた維平は、藤原泰衡の重臣として奥州合戦に司令官として参陣する。源頼朝の鎌倉軍は三方から北上し、維平は越後から北上する比企能員と宇佐美実政率いる軍と出羽口で交戦するも敗戦。実政に捕らえられる。
②尋問を受けて
捕虜となった維平は梶原景時から尋問を受けるも、景時の傲慢な態度を堂々とたしなめる。景時に代わって畠山重忠が尋問すると、維平は重忠の礼節のある態度に感服し尋問に答える。この維平の勇敢な態度により、維平は頼朝から罪を許され頼朝の家臣となる。
③大河兼任の乱
奥州藤原氏の滅亡後、泰衡の旧臣、大河兼任が出羽秋田で挙兵する。兼任は大軍で鎌倉へ向けて進攻を開始すると維平は鎌倉軍として橘公業と共に兼任討伐に向かう。しかし公業は逃亡。その後、維平は毛々左田の戦いで奮戦するも戦いに敗れ戦死する。