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比企能員(ひき よしかず)

Category: 源平武将

概要

所属  : 幕府

没年齢 : ?? (11?? – 1203)

①将軍の父として

比企遠宗の養子として育った比企能員は、叔母でかつ養母となった比企尼が源頼朝の乳母であったことから、比企尼の推挙によって頼朝の重臣となる。源頼家が生まれると能員は頼家の育ての親となり娘の若狭局を結婚させる。源平合戦では、源義高の残党討伐に信濃へ出陣。壇ノ浦の戦い後、平宗盛が鎌倉に送られ頼朝に対面すると、能員は頼朝の言葉を宗盛に伝える。

②十三人の合議制

その後、奥州合戦では北陸道の総大将となり藤原泰衡の家臣、田川行文と秋田致文を破り出羽を制圧する。藤原家滅亡後に泰衡の家臣、大河兼任が反乱を起こすと能員は東山道軍の大将として奥州に出陣する。頼家に長男の一幡が生まれると、能員は将軍の後継者の祖父として権力を強める。頼朝死去後は十三人の合議制の構成員となり梶原景時の排斥運動にも加わる。

③比企能員の変

頼家が危篤となると、頼家の弟の源実朝を擁立して実権を握ろうとする北条時政は、頼家の領地を一幡と実朝とで分割することを決定する。これに一幡派の能員は時政が謀反を企んでいると頼家に訴え頼家から時政の追討を許可される。しかしこれを頼家の母で時政の娘の北条政子に聞かれ、政子は時政に報告。時政は大江広元を味方に付け能員を呼び出す。能員は時政追討の密議が漏れていることを知らず時政邸の出向き暗殺される。その後、比企一族は一幡と共に討たれる(1203.9)。


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