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梶原景時(かじわら かげとき)

Category: 源平武将

概要

所属  : 幕府

没年齢 : 60 (1140 – 1200)

①頼朝の家臣へ

平家に仕える梶原景清の子として生まれた景時は、源頼朝が挙兵すると大庭景親と共に頼朝討伐に出陣し、石橋山の戦いで頼朝を破る。しかし梶原家は平治の乱で頼朝の父、源義朝が討たれるまで源氏のに従っており、頼朝が敗走すると景時は頼朝を捜索して発見するも、景親に虚偽の報告をして頼朝を見逃す。その後、富士川の戦いで平家軍が敗れると景時は頼朝に降伏して頼朝に仕える。景時は頼朝に命じられ、謀反の疑いの上総広常を暗殺する。

②義経との対立

景時は長男の梶原景季と共に源義経に属して宇治川の戦いに参陣。源義仲を破る。一ノ谷の戦いでは源範頼に属して生田の戦いで平知盛と交戦。子の景季は平重衡を捕らえる。景時は重衡を鎌倉に護送した後、再び義経に従属する。屋島拠点とする平家軍に対して摂津で軍議が行われると、景時は退却することも考慮に入れて渡航する舟に逆櫓を付けるよう献策する。しかし義経は景時の策を退け先陣を切って渡航。屋島の戦いに勝利する。壇ノ浦の戦いでも景時は義経に先陣を巡って対立。ここでも義経は景時の策を退け戦いに勝利する。

③十三人の合議制、梶原景時の変

平家滅亡後、景時は義経のふるまいを頼朝に報告し義経追討を導く。畠山重忠に対しても頼朝に讒言し乱を導く。奥州合戦に従軍し勝利を得るも、藤原泰衡の家臣、由利維平への尋問で傲慢な態度を取り失敗する。源頼家が将軍となると十三人の合議制の構成員となる。景時は合議制の分裂を嘆いた結城朝光に対し、これを頼家への誹謗として頼家に讒言すると、三浦義村和田義盛らの御家人が反発し頼家に景時排斥を訴える。景時はこれを受けて出奔。その後、上洛の途中、駿河で吉川友兼の襲撃に遭い自害。梶原一族も共に討たれる。


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