menu

北条時政(ほうじょう ときまさ)

Category: 源平武将

概要

所属  : 幕府

没年齢 : 77 (1138 – 1215)

①監視役から参謀へ

平家の子孫で伊豆の豪族、北条時方の子として生まれた時政は、平治の乱で敗れた源頼朝が伊豆に送られてくると頼朝の監視役となり、娘の北条政子が頼朝と結婚すると頼朝の参謀として頼朝に従い挙兵する。石橋山の戦いの敗戦後、時政は頼朝と分かれ甲斐の武田信義に合流。後に頼朝とも合流し富士川の戦いに勝利する。その後は鎌倉で筆頭御家人として頼朝の政治を補佐する。

②十三人の合議制

源平合戦の終結後、頼朝の弟、源義経が後白河法皇の院宣を得て頼朝への謀反を起こすと、時政は兵を率いて入京し後白河法皇に義経追捕のためとして「守護」と「地頭」の設置を認めさせる。その後も時政は京都で政務をとり、京都守護と呼ばれるようになる。政務を終えた時政は鎌倉に戻ると頼朝主催の富士の巻狩りに参加。源頼家を後継者として認める。しかし頼朝が死去すると時政は頼家の独断政治を否定し、時政をはじめとする有力御家人による十三人の合議制を開始。幕府の実権を握る。

③謀略の末に

その後、時政は北条氏の独裁政権確立のため謀略の道を進む。初めに合議制の構成員である梶原景時を時政の娘、阿波局を使って失脚させ、次に頼家の義父である比企能員を滅ぼして頼家を追放。頼家の弟、源実朝を三代将軍に据える。さらに大江広元を押さえて将軍実朝を補佐する初代執権となる。その後、頼家を暗殺。続いて畠山重忠を謀反の罪で滅ぼすと、時政はついに実朝の暗殺を計画。しかしこれに反発した子の北条義時と政子が御家人たちを味方に付け実朝を匿う。これにより時政の謀略は失敗。出家し伊豆北条に追放され生涯を終える。


< NEXT 大江広元(おおえの ひろもと)

PREV > 源頼家(みなもとの よりいえ)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)