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藤原国衡(ふじわらの くにひら)

Category: 源平武将

概要

所属  : 藤原家(奥州)

没年齢 : ?? (11?? – 1189)

①泰衡との協調

奥州藤原氏三代目当主、藤原秀衡の長男として生まれた藤原国衡は、秀衡の側室の子のため後継者候補から外れるも、秀衡から弟、藤原泰衡を養子とされ、後継者候補の泰衡と共に藤原家を支える重要な役割を持つようになる。源頼朝に追われた源義経が落ち延びてくると、秀衡は義経を大将に据えて泰衡、国衡の三人で協力し頼朝の侵攻に備えるよう遺言を残して死去。国衡は四代目当主となった泰衡を支えることになる。

②粛清の間で

頼朝が泰衡に義経追討を要請すると、頼朝の圧力に屈した泰衡は父の遺言を破り義経の追討を決意。泰衡はそれに反対した弟、秀衡の六男の藤原頼衡を誅殺し、義経を攻めて自害に追い込む。その後、義経に加担したとして弟、秀衡の三男の藤原忠衡と五男の藤原通衡を討つ。これら兄弟の争いに国衡は黙認を貫くことになる。

③阿津賀志山の戦い

泰衡の義経追討と弟の粛清にもかかわらず頼朝はついに奥州征伐を開始。頼朝軍は三軍に分かれ、頼朝本隊は奥州街道を北上、支隊の比企能員は北陸方面、千葉常胤は常陸方面からそれぞれ北上する。国衡は藤原軍の総大将として陸奥と磐城の境に位置する厚樫山に阿津賀志山防塁を築き頼朝を迎え撃つ。国衡は寡兵ながら善戦するも、佐藤継信佐藤忠信兄弟の父、佐藤基治が討たれ、国衡も背後から奇襲を受けると拮抗は崩れて国衡は退却。しかし和田義盛畠山重忠の追撃を受け戦死する(1189.8)。


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