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伊藤忠清(いとう ただきよ)

Category: 源平武将

概要

所属  : 平家

没年齢 : ?? (11?? – 1185)

①保元の乱、平治の乱

伊勢古市を本拠とする平家の家臣、伊藤景綱の子として生まれた伊藤忠清は、平清盛に仕え、弟、伊藤忠直と共に保元の乱に出陣。忠清は源為朝と激戦となるも弟の忠直が戦死。忠清も退却を余儀なくされる。平治の乱では、乱の直後、清盛の命により信西殺害の首謀者である藤原経宗と藤原惟方を捕らえる。

②以仁王の挙兵鎮圧

以仁王の挙兵が露見し、以仁王が近江大津の園城寺に逃れると、以仁王を担ぐ源頼政も園城寺に入り六波羅襲撃を画策する。しかし興福寺の援護を得るため以仁王と頼政は園城寺を脱出。忠清は弟の伊藤景家、子の伊藤忠綱と共にこれを追撃する。宇治で頼政が橋を破壊するも忠清は騎馬で浅瀬を渡り、忠清は平等院で頼政を討つ。弟の景家は平等院を脱出した以仁王を追撃し以仁王を討つ。

③富士川の戦い、三日平氏の乱の敗戦

源頼朝が挙兵すると忠清は平維盛率いる鎮圧軍に従軍し、駿河の富士川で頼朝率いる源家軍と対峙する。しかし源家軍の兵力は大幅に平家軍を上回っており、忠清は維盛に撤退を進言。維盛は兵士の混乱から富士川の戦いに大敗を喫する。敗戦の責任を受けて忠清は清盛に死罪とされるも、平盛国の取りなしにより死罪を免れる。平家が都を落ちると忠清は本拠地伊勢に戻り、平家継、平信兼と共に三日平氏の乱を起こすも失敗。その後、忠清は潜伏を続けるも、壇ノ浦の戦い後に志摩で捕らえられ処刑される(1185.5)。


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