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源義経(みなもとの よしつね)

Category: 源平武将

概要

所属  : 源家

没年齢 : 30 (1159 – 1189)

①頼朝軍の司令官へ

河内源氏の棟梁、源義朝の九男として京都で生まれた源義経は、父、義朝が平治の乱で死去すると大和に逃れる。その後、京都の鞍馬寺に預けられるも、元服すると奥州の藤原秀衡の元へ出奔する。兄の源頼朝が挙兵すると秀衡から佐藤継信佐藤忠信兄弟を護衛に付けられ頼朝の元へ駆けつけ、富士川の戦いに勝利した頼朝と対面を果たす。その後、頼朝から兄の源範頼と共に追討軍の司令官を任され西国に出兵する。

②奇襲攻撃

頼朝よりも先に木曽義仲が京都に入ると後白河法皇は寿永の宣旨を出し頼朝を頼る。義経は頼朝の命を受けて京都に進軍。義仲は法住寺合戦で法皇を幽閉すると義経は範頼と合流し宇治川の戦いで義仲を破り京都に入る。平家が福原に勢力を回復すると義経は背後の山から急斜面を騎馬で下る「逆落し」の奇襲攻撃を行い、一ノ谷の戦いに勝利。その後、平家の拠点、屋島を奇襲し屋島の戦いに勝利する。同時期に範頼が九州上陸に成功。彦島が最後の拠点となった平家を義経は水軍を率いて壇ノ浦の戦いで打ち破り、平家を滅亡させる。

③頼朝との対立

しかし頼朝は許可なく後白河法皇から任官を受けた義経を警戒し、捕らえた平家の棟梁、平宗盛を連れ鎌倉に入ろうとする義経を許さず、義経は帰京する。頼朝は源行家の追討を決め義経も行家と共謀すると断定。義経は頼朝の家臣、土佐坊昌俊に襲撃されると頼朝追討の院宣を得て挙兵する。しかし兵が集まらず挙兵に失敗。頼朝が義経追討の院宣を得ると義経は大和と京都を経て、奥州の秀衡の元に身を寄せる。しかし秀衡が死去すると頼朝は跡を継いだ藤原泰衡に義経追討を迫り、これに屈した泰衡は衣川館の義経を襲撃。義経は一切戦わず自害する(1189.閏4)。


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