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源頼朝(みなもとの よりとも)

Category: 源平武将

概要

所属  : 源家

没年齢 : 52 (1147 – 1199)

①源氏の棟梁、挙兵

河内源氏の棟梁、源義朝の三男として生まれた頼朝は、父、義朝、兄の源義平、源朝長と共に平治の乱で平清盛に敗れる。頼朝は清盛の母の懇願により死罪を免れ伊豆への流罪となる。頼朝は蛭ヶ小島で生活を送り、北条時政の娘、北条政子と結婚する。後白河法皇の子、以仁王が平家追討の令旨を出すと、叔父の源行家が頼朝を訪れる。挙兵を決意した頼朝は時政に命じて山木館を襲撃し、伊豆の目代、山木兼隆を討つ。続いて石橋山の戦いに臨むも大庭景親に敗れ窮地となる。頼朝はかろうじて船で伊豆を脱出。安房に上陸して再起を図る。

②平家滅亡へ

頼朝は次々と関東の有力武将を味方にして勢力を拡大しながら鎌倉に入り本拠地とする。平維盛が頼朝の挙兵鎮圧のため東国まで迫ると、頼朝は甲斐で挙兵した武田信義と共に富士川の戦いで維盛に大勝する。その後、頼朝は弟の源義経と対面。平家追討に弟の源範頼、義経を司令官として西国に派遣する。頼朝自身は常陸の佐竹秀義を金砂城の戦いで破った後、鎌倉で御家人に所領を与えるなど新たな政治の仕組みを築いていく。範頼、義経は源義仲を宇治川の戦いで破った後、一ノ谷の戦い、屋島の戦いに勝利。続いて壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼす。

③鎌倉幕府

義経が後白河法皇から頼朝の許可を得ず官位を得ると、頼朝は義経を警戒し、義経が平宗盛平重衡を連れて鎌倉の頼朝を訪れるも頼朝は面会を拒否する。義経が挙兵すると頼朝は駿河黄瀬川に出陣するも義経は兵を集められず奥州の藤原秀衡の元へ逃れる。秀衡が死去すると頼朝は跡を継いだ藤原泰衡に義経追討を迫り義経を討たせる。しかし頼朝は義経を匿ったとして奥州へ出陣。奥州合戦で泰衡を討ち奥州藤原氏を滅ぼす。その後、後鳥羽天皇から征夷大将軍に任命され武士政権を確立する。


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