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平知盛(たいらの とももり)

Category: 源平武将

概要

所属  : 平家

没年齢 : 33 (1152 – 1185)

①挙兵の鎮圧

伊勢平氏の棟梁、平清盛の四男として生まれた知盛は、同母兄、平宗盛と共に昇進を重ねる。長兄の平重盛が死去すると宗盛が平家の棟梁となり、知盛は同母弟の平重衡と共に宗盛を支える。以仁王の令旨により源頼朝が挙兵し平維盛が富士川の戦いで頼朝に敗れる。その後、美濃と近江でも源氏が挙兵するも知盛はこれの鎮圧に成功する。続いて重衡が南都の寺社勢力も鎮圧し、平家は畿内を押さえることになる。

②平家軍の司令官として

しかし維盛が源義仲に倶利伽羅峠の戦いで敗れると形勢が逆転。知盛は宗盛らと共に京都を落ち九州大宰府に向かうも果たせず四国の屋島に本陣を置くと知盛は軍の司令官となって反撃を開始。弟の重衡が水島の戦いで義仲軍の足利義清を撃破。続く室山の戦いでも知盛と重衡は源行家を撃破。福原に拠点を移す。追討令を受けた源範頼源義経が迫ると、知盛は重衡と共に福原の東、生田の森に陣を敷き、範頼と生田の戦いで激戦を繰り広げる。しかし福原の西、一ノ谷に陣を敷いた平家軍が義経の奇襲攻撃を受けて敗れると知盛も海上へ逃れる。

③平家の最後

宗盛は本拠地の屋島に退却。一方、知盛は壇ノ浦の彦島に拠点を置き、九州の平家軍を組織して瀬戸内海の制海権を保ち追討軍の上陸を防ぐ。しかし宗盛が屋島の戦いで義経の奇襲を受け敗れると宗盛率いる平家は彦島の知盛に合流。その後、範頼が九州に上陸すると平家は彦島に孤立し壇ノ浦の戦いとなる。知盛は奮戦するも潮流の変化と共に義経の反撃を受ける。敗北を悟った清盛の妻、平時子が安徳天皇を抱いて入水すると妹の平徳子、さらに兄で棟梁の宗盛も入水。知盛は平家が滅ぶのを最後まで見届けた後、碇を体に巻き付けて入水する。


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