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平宗盛(たいらの むねもり)

Category: 源平武将

概要

所属  : 平家

没年齢 : 38 (1147 – 1185)

①平家の棟梁へ

伊勢平氏の棟梁、平清盛の三男として生まれた宗盛は、兄の平重盛と共に昇進を重ねる。後白河法皇の鹿ケ谷の陰謀が発覚すると関与した重盛が失脚し宗盛が表舞台に立つようになる。その後、同母妹の平徳子が安徳天皇を生み、さらに平家打倒に挙兵した以仁王と源頼政を討つことで、宗盛は重盛の子、平維盛を上回る権力を持つようになる。清盛が源頼朝を討つべく維盛を派遣。しかし維盛が富士川の戦いで敗北すると宗盛は清盛に福原から平安京への還都を進言する。清盛が死去すると宗盛は平家の棟梁となる。

②勢力回復

宗盛は挙兵した源氏を追討すべく維盛を派遣する。維盛は墨俣川の戦いで源行家を撃破するも、続いての倶利伽羅峠の戦いで源義仲に大敗。義仲が京都に迫ると宗盛は安徳天皇を連れ、京都を放棄して福原から海路で大宰府に向かう。しかし後白河法皇を連れ逃した宗盛は法皇の平家追討令により九州上陸を果たせず四国、屋島に上陸、本拠地とする。義仲軍が備中水島まで迫ると宗盛は弟の平重衡を派遣し水島の戦いに勝利。宗盛の弟、平知盛と重衡は播磨に軍を進め、行家を室山の戦いで破ると、ついに宗盛は福原に帰還。勢力を取り戻す。

③平家滅亡へ

しかし後白河法皇は頼朝に平家追討令を出し、源範頼源義経が福原に迫ると、宗盛は一の谷の戦いで義経の奇襲を受け敗北。重衡は捕らえられるも、知盛は壇ノ浦の彦島に、宗盛は本拠地である四国の屋島に撤退する。宗盛は瀬戸内海を結ぶ二拠点を軸に再起を図るも、義経が屋島に奇襲攻撃を仕掛け、宗盛は屋島の戦いに敗北。知盛が守る最後の拠点、彦島に撤退する。範頼、義経が迫ると宗盛は知盛と共に壇ノ浦の戦いに挑むも敗北。宗盛は入水するも果たせず捕らえられる。宗盛は子の平清宗、平能宗と共に処刑となり、ここに平家は滅亡する。


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