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源義仲(みなもとの よしなか)

Category: 源平武将

概要

所属  : 源家

没年齢 : 30 (1154 – 1184)

①木曽

源為朝の次男、源義賢の次男として武蔵大蔵に生まれた源義仲は、父、義賢が大蔵合戦で源義平に討たれると、中原兼遠に匿われて信濃木曽で育つ。源行家が以仁王の令旨を伝えると義仲は以仁王の子を擁立して挙兵。同時に挙兵した源頼朝との衝突を避け北陸を攻める。義仲は頼朝と対立して出奔した行家を味方に加えたため頼朝との関係が悪化するも、長男の源義高を人質に送り関係を修復する。

②倶利伽羅峠の戦い

平維盛が挙兵の鎮圧のため平家軍を率いて北陸に侵攻すると、義仲は次々と所領を奪われるも、義仲の家臣、今井兼平が般若野の戦いに勝利し維盛の侵攻を止める。さらに義仲は加賀と越中の国境の峠に陣を敷いた維盛に奇襲をかける。牛の角に松明を付けて敵を崖に追い詰めるなどの奇策により、義仲は倶利伽羅峠の戦いで大軍率いる維盛に勝利。続いて義仲は敗走する維盛を篠原の戦いで再度撃破。そのまま軍を進め、ついに上洛を果たす。

③対平家から対頼朝へ

後白河法皇を帰京させるも、義仲は以仁王の子を即位させようとして後白河法皇と対立。また、義仲軍の兵の粗暴により京都の治安が悪化。後白河法皇は義仲よりも頼朝を願うようになる。義仲は信頼を取り戻すべく平家追討に向かうも水島の戦いで平家軍に敗北すると、法住寺合戦で後白河法皇を幽閉し自ら征東大将軍となって頼朝との対決を決意する。義仲は源範頼源義経が率いる頼朝軍と宇治川の戦いで激突。義仲は義経と激戦となるも敗北し、兼平、巴御前ら数人と共に近江粟津まで敗走。しかし追いついた範頼に粟津の戦いで敗れ戦死する(1184.1)。


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