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藤原頼長(ふじわらの よりなが)

Category: 源平武将

概要

所属  : 藤原家(北家)

没年齢 : 36 (1120 – 1156)

①養子縁組

関白、藤原忠実の三男として生まれた頼長は、摂関家の公卿として着実に昇進を続けていく。兄の藤原忠通が子に恵まれなかったため、頼長が関白となると忠通の養子となるも、忠通に実子の近衛基実が生まれると忠通は頼長との養子縁組を解消。頼長は左大臣となるも、忠通が摂関家の地位の独占を目論み忠通と対立する。

②悪左府

忠通が父の忠実から絶縁されると、頼長は忠実から支援を受け内覧に就任。執政となった頼長は正しい世の中に戻すことを目指し政治の立て直しにまい進する。しかし、その厳しい政策と強引な手法に周囲からの理解が得られず頼長は孤立。寺社勢力とも対立を生み、悪左府と称されるようになる。こうした中、近衛天皇が崩御すると、忠実、頼長の呪詛が原因とされ頼長は失脚する。

③保元の乱

鳥羽法皇が崩御すると、忠実、頼長の挙兵が噂されるようになる。後白河天皇にも謀反の疑いをもたれ、さらに源義朝に攻められた頼長はついに挙兵。崇徳上皇を擁立して正当性を主張するも、集まった武士集団は後白河天皇側の人数に及ばず夜襲を受けて保元の乱に敗北。頼長は矢を受けながらも逃亡する。同じく乱に敗れて大和に逃亡していた忠実に助けを求めるも拒否され死去する。


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