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源義朝(みなもとの よしとも)

Category: 源平武将

概要

所属  : 源家

没年齢 : 37 (1123 – 1160)

①大蔵合戦

河内源氏の棟梁、源為義の長男として京都に生まれた義朝は、幼少時に父、為義と別れて東国に下向。有力な豪族を配下に置き、鎌倉を拠点として勢力を拡大する。義朝は長男の源義平に東国を任せて京都に戻ると鳥羽上皇や藤原忠通に接近。義朝が為義を上回る権威をもつようになると為義との対立が顕著になる。為義が次男の源義賢を東国に派遣すると、義朝は義平に命じて大蔵合戦で義賢を討ち、東国支配を確固たるものにする。

②保元の乱

保元の乱では、父の為義と弟の源頼賢が崇徳上皇側に付くも、義朝は後白河天皇側に付き、平氏の棟梁、平清盛と共に勝利をもたらす。義朝は為義、頼賢の助命を嘆願するも信西によって退けられ義朝は両者を処刑することになる。また、共闘した清盛が恩賞の面で義朝よりも優遇され、義朝は朝廷内で実権を握る信西に対し不満を持つようになる。

③平治の乱

義朝は清盛が熊野詣中に朝廷内で信西と対立していた藤原信頼と共に信西がいる御所、三条殿を襲撃。信西は逃亡するもその後発見され自害する。義朝と信頼は同時に後白河上皇と二条天皇を確保し京都を押さえるも、異変を知った清盛が帰京。さらに後白河上皇と二条天皇が御所から脱出すると、ついに義朝は六波羅合戦で清盛と戦うも敗退。東国に落ち延びる途中、尾張の長田忠致邸で休息をとるも忠致のだまし討ちに遭い死去する。


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