概要
所属 : 宇和島藩 明治政府
没年齢 : 74 (1818 – 1892)
①宇和島藩主
宇和島藩主に就任した宗城は藩政改革に着手する。木蝋の専売や石炭資源の調査などで殖産興業を推進する。また、蘭学者の高野長英を庇護して西洋の技術を取り入れ、さらに軍学者の大村益次郎を招いて軍隊を近代化させるなど軍制改革も促進する。
②四賢侯
藩政改革に成功した宗城は有力大名となり、福井藩主の松平春嶽、土佐藩主の山内容堂、薩摩藩主の島津斉彬と共に四賢侯と呼ばれ、幕府の阿部正弘を通して幕政にも関わるようになる。しかし彦根藩主の井伊直弼が大老に就くと幕府の権力を高めるため安政の大獄を行い、宗城ら四賢侯は隠居謹慎処分を受ける。
③幕府と新政府
井伊が亡くなると宗城は有力大名合議制の参与会議、さらに四侯会議の構成員となるも、幕府の権力維持を計った徳川慶喜により両会議も短命に終わる。その後の王政復古で新政府が発足すると政府に出仕するも、戊辰戦争では東北諸藩と戦いを避けるため新政府軍の参謀を辞任する。戊辰戦争後は明治政府に出仕、主に外国使節の接待役を担当する。