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山内容堂(やまうち ようどう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 土佐藩 明治政府

没年齢 : 44 (1827 – 1872)

①土佐藩主

幕府の阿部正弘の介入によって容堂が土佐藩主となると、容堂は改革派の吉田東洋を起用し軍の西洋化や財政改革などの藩政改革を行う。また阿部を通じて幕政にも関わり、薩摩藩の島津斉彬や福井藩の松平春嶽、宇和島藩の伊達宗城と共に幕府を有力大名の連合政権にすることを提案する。

②土佐勤王党の弾圧

阿部が亡くなると幕府は井伊直弼が実権を握り、容堂らは将軍継嗣問題や開国問題で井伊と対立。政争に敗れ謹慎処分となる。謹慎の間に土佐藩では武市半平太の土佐勤王党が台頭、公武合体派の吉田東洋を暗殺して実権を握る。しかし尊王攘夷派の長州藩が京都から追放されると、容堂も土佐藩内の尊王攘夷派である勤王党の弾圧を行う。

③幕府と新政府の狭間で

容堂は坂本龍馬が起草、後藤象二郎が提案を行った大政奉還を支持、徳川慶喜も新政府に参加することを想定する。しかし大政奉還後に行われた小御所会議に慶喜が呼ばれず、容堂は会議の無効性を主張するも岩倉具視大久保利通に論破され翌日王政復古の大号令が発布される。戊辰戦争には消極的だった容堂だが、板垣退助が結んだ薩土密約と藩士たちの士気により土佐藩も新政府軍の主力として戦うことになる。維新後は政府に一時的に参画するも隠居生活を送る。


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