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吉村寅太郎(よしむら とらたろう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 土佐藩 土佐勤王党 天誅組

没年齢 : 26 (1837 – 1863)

①脱藩決行

武市半平太の道場で剣術を学び、武市が土佐勤王党を結成すると吉村もこれに加盟、武市の使者として長州藩の久坂玄瑞や福岡藩の平野国臣と交流し尊王攘夷思想を強める。薩摩藩の島津久光が上京すると知ると、勤王党もこれに乗じて脱藩することを武市に提案。しかし武市は藩としての尊王攘夷を目指しており拒否され、単独での脱藩に踏み切る。

②挙兵計画

脱藩に成功した吉村は伏見寺田屋で薩摩藩の有馬新七や久留米藩の真木和泉らと挙兵を計画するも、久光は鎮撫使を派遣、計画は失敗する。吉村は土佐藩に送還され投獄されるが、情勢が攘夷に傾き釈放され、再び京都へ入る。天皇の大和行幸が決まると今度はこれに乗じて挙兵を計画。公卿中山忠光を擁立し天誅組を結成、先に大和へ向かい天皇の兵として挙兵、天皇を迎える計画を立てる。

③政変と天誅組の戦い

吉村ら天誅組は大和で代官所を襲撃、挙兵を決行する。しかしその翌日京都で政変が起き、長州藩が京都から追放される。天皇の大和行幸を画策した真木や攘夷派公卿の三条実美も長州へ落ち延び、大和行幸は中止となる。天誅組は挙兵を継続、十津川郷士たちを集め高取藩の高取城を攻めるも反撃に遭い敗走。吉村隊はゲリラ戦で善戦するが幕府の追討軍により戦死する。


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