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久坂玄瑞(くさか げんずい)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 長州藩 松下村塾 御楯組 光明寺党 柳の図子党

没年齢 : 24 (1840 – 1864)

①吉田松陰との出会い

藩医を引き継いだ久坂は九州に遊学、肥後熊本藩の宮部鼎蔵と会い、宮部の勧めによって吉田松陰に師事。松下村塾では高杉晋作と並び「双璧」と呼ばれる。また松陰の妹と結婚、松陰の義弟となる。松陰亡き後は塾生をまとめ、薩摩藩の西郷隆盛や土佐藩の吉村寅太郎坂本龍馬らと交流、松陰の教えである実践を説き、長州藩過激派のリーダー的存在となる。

②攘夷決行

久坂は木戸孝允と共に攘夷派の公卿、三条実美らと江戸へ下向し幕府に攘夷実行を迫る。また高杉らと御楯組を結成、英国公使館焼き討ちを決行する。さらに幕府が攘夷実行の日を定めるとそれに合わせて久坂は光明寺党を結成、攘夷実行の日に外国船を砲撃する。しかし幕府は武力の実行ではなく、条約破棄への交渉の実行であり、結果、長州藩は単独で攘夷を決行したこととなる。

③禁門の変へ

久坂は幕府の弱腰攘夷政策を非難、倒幕に向けて京都で奔走するも、薩摩藩と会津藩による政変により長州藩は孤立。さらに池田屋事件を契機に久坂は来島又兵衛らと軍を率いて上京。久坂の目的は長州藩の汚名返上を朝廷に嘆願することであったが来島は抗戦を主張、御所での戦闘となる。西郷率いる薩摩藩に来島隊が撃破され、久坂は公卿に嘆願を直訴するも拒否、逃亡され自刃。


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