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勝海舟(かつ かいしゅう)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 江戸幕府 神戸海軍塾 明治政府

没年齢 : 76 (1823 – 1899)

①海軍創設へ

ペリーの来航により危機を感じた勝は幕府に海防意見書を提出。その後、長崎海軍伝習所で海軍技術を学び江戸の軍艦操練所の頭取となる。日米修好通商条約の批准の際には使節団の護衛として、軍艦咸臨丸で渡米。帰国後軍艦奉行並に昇格した勝は、将軍徳川家茂上洛の際、警護と調査を兼ねて順動丸で神戸に寄港。家茂に許可を得て神戸海軍塾と神戸海軍操練所を開設する。軍艦奉行に昇格した勝は、幕府の海軍を越えた日本の海軍創設を構想する。

②江戸城無血開城

幕府と長州藩の対立が深まる中、将軍後見職の徳川慶喜は幕府権力の回復に努める。その過程で勝の開明性が危険視され、勝は軍艦奉行を罷免、蟄居処分を受ける。また、神戸海軍操練所も閉鎖となる。その間、勝は薩摩藩の西郷隆盛と知り合う。第二次長州征伐において処分を解かれた勝は長州藩との停戦協定を単身で行う。戊辰戦争勃発後は陸軍総裁となり江戸城総攻撃の前日に新政府軍となった西郷と会談、江戸城無血開城を成し遂げ江戸を守る。

③旧幕臣として

明治政府から参政の依頼を受け、政府内の役職を請け負うも辞退や辞任により短期的なものとなる。むしろ、勝は旧幕臣として同じ幕府側の人々の援助や名誉回復に努め、ついに慶喜の明治天皇への拝謁が許される。その後、政府より歴史書の編纂を依頼され多くの資料を残す。


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