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木戸孝允(きど たかよし)

Category: 幕末志士

概要

所属  : 長州藩 明治政府

没年齢 : 43 (1833 – 1877)

①潜伏

江戸で剣術、兵学、造船術、英語といった最新の学問を学び、その才覚を吉田松陰に見出され長州藩の実力者として頭角を現す。木戸は慎重派であったが、当時の長州藩は久坂玄瑞ら主戦派が実権を握っており、下関戦争が勃発。さらに薩摩藩と会津藩による政変が起こり長州藩は孤立。木戸は京都に潜伏し政権回復の活動を続けるも、近藤勇率いる新選組による池田屋事件に遭遇、出石へ逃亡、潜伏。その間に久坂ら過激派志士たちが禁門の変を起こし、長州藩は朝敵となる。

②朝敵から官軍へ

第一次長州征伐後、高杉晋作のクーデターにより主戦派が再び実権を握る。そして木戸は主戦派の実力者、高杉や大村益次郎により長州藩のリーダーとして長州への帰参を果たす。その後、坂本龍馬の斡旋により、薩摩藩の西郷隆盛と会談、ついに仇敵薩摩藩と薩長同盟を結ぶ。第二次長州征伐では、長州藩単独で幕府軍を撃破。勝利の末、長州藩の朝敵が赦免される。王政復古の大号令により、長州藩は官軍として旧幕府軍と戦い、新政府を樹立する。

③明治政府

戊辰戦争が続く中、木戸は新政府の確立に尽力する。まず、由利公正により起草された五箇条の御誓文を岩倉具視に提出し、明治政府の基本方針を定める。さらに版籍奉還を通して廃藩置県を断行し、中央集権国家を確立させる。国内を落ち着かせた木戸は、岩倉使節団として海外視察を行う。西南戦争勃発において征討軍の任を希望するも病床に伏し、西郷を案じつつ病死する。


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